私が生れ育った街「三ノ輪」に行った
暮れも押し迫った昨年12月30日、父、母、姉が眠る龍慶寺(足立区綾瀬)さんにお墓参りをした後に生まれ育った三ノ輪に行ってきました。ジョイフル三の輪という商店街ですが南千住銀座と言われ、母などは新開地と言っていました。
都内で唯一の都電が走る三ノ輪橋の終点にあった本屋!
今でこそカッコいい車両になっていますが昔は黄色車体、運転手さんと大きながま口のような鞄をぶら下げた車掌さんの二人が乗っていたチンチン電車の都電です(母は王電と言っていました)
終点「三ノ輪橋」の真ん前にあったのが私の両親が営んでいた「ブックスとでん」(旧杉田書店)です。昭和57年の暮れに廃業、その後いろいろなお店に変わりましたが、不思議なことに今では書店になっています。
両親が営んでいた頃、少年ジャンプが1冊90円!(+o+)
三ノ輪を離れ36年、今では西武沿線のほうが長い
商店街のお店にはたくさんの同級生のお店がありました。
実は【本屋の大きいお兄ちゃん】と言われるのが大嫌いでした。6つ上の姉、3つ下の弟、鈴木という名字もあり、近所の人は顔を見れば【本屋の大きいお兄ちゃん】(苦笑)オレは鈴木だぁ!オレは義晴だぁ!、本屋と言われるのがもの凄く嫌いでした。
「お姉ちゃんは勉強もできたのだけど‥」
「体が本当に大きいね‥」
「ちゃんとお店手伝っている?」
照れからくる嫌いなのだけど‥まともに呼ばれたことがありませんでした。
大正七年創業の相州屋さん
六つ上のお姉ちゃんが大好きだったおだんごが美味しい和菓子屋さん。
江戸時代創業の砂場総本家
築60年を超える建物は今でも健在!老舗中の老舗のお蕎麦屋さん。
THE三ノ輪!小島みそ店!!美味しんだなぁ~
はいっ、知る人ぞ知る「小島みそ店」です。
味噌の専門店!
超久しぶりに訪れ好みの味噌を買うことにしました。
なんだか母の味がした味噌汁。
第六瑞光小学校と都電
小学校高学年の頃から当たり前のように店番と配達。いかに手伝わないようにするかばかりを考え言い訳していました。でも‥反省します。本屋のお兄ちゃんと言われるために、どれだけ父と母が一生懸命に商売をしていたのかと。
砂場でお蕎麦を食べている時に「懐かしいなあ~40年ぶりぐらいだなお蕎麦を食べたの」と口ずさむと、『あれ三ノ輪の人?』と前に座るおばさんから声を掛けられました。「実は‥本屋の息子で‥」と話すと『あら、やだ女将さん!ほら都電のところにあったお煎餅屋さんの前にあった本屋のお兄ちゃんだよ!』(笑)
小島みそ屋さんでも『あら~本屋のお兄ちゃんならお姉ちゃんいたでしょう!勉強ができたお姉ちゃんが!』涙が出るぐらいに嬉しかった。父と母、そしてお姉ちゃんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
写真は私が卒業した荒川区立第六瑞光小学校の脇を走る都電です。
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