西東京市をもっと元気に!頑張るではなく“顔晴る”社長 鈴木義晴
平成11年2月、私が勤務していた不動産会社の社長が急病で倒れました。
人一倍、健康を気にする社長はスニーカーを履いて徒歩で現場周りをするのが日課、その知らせを聞いたときは耳を疑いました。
きっと何かの間違いでは?と。当時店長だった私は「社長は病気と闘っている。きっと元気になり戻ってくるから、僕たちみんなで会社を守ろう」と社員に思いを伝え、仕事を熟す日々でした。
ある時、社長のご親族から『会社を閉めることにするから身の振り方を考えて欲しい』旨の話をいただきました。
青天の霹靂、そんなにも体調が悪かったのか、社長に会わせてくださいと懇願しましたが、残念ながらその希望は叶いませんでした。
スプラッシュの誕生
ある日、日頃からお世話になるI社長に相談をしました。
すると「独立しろ!お前が会社の社長をやるんだ!」、不動産業界の怖さ恐ろしさを知る自分は怯みました。
「無理だ!俺にはできない…。」と話す自分を一蹴、バカヤローと怒鳴られたことを今でも思い出します。
それをきっかけに株式会社スプラッシュを設立したのです。
スプラッシュは「水しぶき」という意味です。勢いよく前進しないと水しぶきにはならない。後押しをしてくれる人たちのためにも「走る」をイメージしての命名です。
その後、たくさんの人に恵まれトントン拍子に事業が拡大、兵庫県西宮市にも支店を構え、新築分譲住宅の年間契約数が300件超の勢いでした。
転機
あれほど大好きだったお客様と接することを人に任せ、新規販売の企画ばかり、仕事というよりゲーム感覚で数字ばかりを考え、人の心を思わない、感じない人間になっていました。お恥ずかしい話ですが、その頃の私は完全に天狗になっていました。
そんな私の大きな転機になったのが東日本大震災です。
目を疑う光景、言葉では言い表せない状況、自分自身の無力さも感じたものです。
今のままではいけない、失うことを怖がってはいけない、そもそも裸一貫で作り上げたもの、守りに入ってはいけない!
第二の創業と考え大きな決断をし根本的改革を行うことにしました。それは今までのやり方を否定する“間口を狭く奥行きのある経営”です。
新築住宅専門に扱う現地売出しの不動産会社から「インターネットに特化する不動産会社」という営業スタイルにしたのもその一つです。
携帯電話のメールしかできないアナログ人間からの脱却は上手く運ばず、心の中でいくつものパソコンを壊しました(苦笑)
西河塾で学んだ『モノではなく、コトでもなく、ヒト』
私の心に一筋の道が開けたキッカケは、お世話になるN社長からのメールでした。
「入塾はいかが?」~50歳を過ぎていまさら勉強?そんなことが出来るわけがないと言い訳をする私に『ねえ~よく考えたら。インターネットに特化する不動産屋になるって決める前も俺には無理だと言っていなかった。出来ないって言ったら出来ないで終わりよ』妻の一言が背中を押しました。
毎週水曜日の夜、西河技術経営塾に通いました。当時の私はついていくのが必死で宿題に追われる日々。提出する論文は十数回の書き直し、小平和一朗先生が指導してくれたからこそ修了出来たようなものです。
『困っている人の役に立つのがビジネス』~西河塾長の教えです。今は自分が本来持てる能力を試すとともに、お客さんに寄り添う不動産屋にチャレンジしようと日々取り組んでいます。
それが「モノではなく、コトでもなく、ヒト」~知性・感性・心性で成り立つセンスウエアと言われるものです。ハードウエアでもなくソフトウェアでもない、それらを包容すると考えられる概念がセンスウエアです。
ライフワークとして研究するべく日本開発工学会に所属して研鑽しています。
いま、思い、伝えたいこと
私が育った時代の運動は練習時間に水を飲むことを禁じられていました。腹筋運動も膝を伸ばすやり方です。そう、歯を食いしばって耐える、頑張るといった感覚です。
時代の流れでしょうか、今は違うような気がしてなりません。仕事、お客さんに接することは楽しいことです。
より楽しく過ごすには自らが笑顔でなければいけない、無理に頑張らずに人の出会いを楽しむ‥頑張るではなく顔晴るになりました。
不動産業を生業とし30年を超えました。ヒトを慮る(おもんばかる)、そのような接し方こそが自分の歩む道と今は考えています
雲外蒼天、今日も元気に顔晴ります。
長々とお読みいただきありがとうございました。