【恒例】田無神社の七夕てるてるトンネル
色とりどりのてるてる坊主が飾り付けられた「七夕てるてるトンネル」は、6月13日(土)から7月21日(火)まで、田無神社境内に設置されます。
引用元:田無神社ホームページ
6月13日(土)から7月21日(火)まで
平成26年から平成30年までは、竹と笹によるトンネルが境内に設置されておりましたが、令和元年より、この時期が梅雨にあたることから、トンネルにてるてる坊主が飾られるようになりました。
七夕てるてるトンネルは、御祭神である級長津彦命・級長戸辺命に感謝を捧げ、台風や雨風などの災害なく、農作物が順調に成長することを祈念して設置されるものです。参拝者は、てるてる坊主の短冊に願いごとを記入し、トンネルに結びつけることができます。「てるてる短冊」には顔を描き、皆様のお願いごとをお書きいただき、トンネルに結びつけてください。てるてる短冊は、田無神社のおみくじ処にて一体300円で頒布いたします。
田無神社とは
田無神社の創建は鎌倉時代まで遡ります。
当初は現在の鎮座地より北へ1キロほど離れた北谷戸の宮山に鎮座しており、尉殿権現と称しておりました。
時代は下り江戸時代になると、江戸城増改築に際して、漆喰の原料である石灰運搬のために青梅街道が開かれました。
これに伴い、北谷戸の住人たちは青梅街道沿いに移り住むこととなりました。これにより、江戸と青梅のほぼ中間にあり、交通の要所である「宿場町田無」の町の歴史が始まることになります。
その後、川越から江戸へ石灰を運ぶ舟ができると青梅街道を利用した石灰運搬は無くなることになりますが、その後、青梅から甲府までの道が開通すると甲州街道の裏街道として再び賑わいを取り戻していきます。
このような歴史の経緯の中で、宮山に鎮座する尉殿権現社は17世紀に宮山から現在の鎮座地に遷座します。
その後、尉殿権現は明治政府の「神仏分離」政策により、明治5年(1872)に田無神社と社名を改めます。
明治43年(1910)に町内の5つの小社を合祀、昭和24年(1949)に大阪市阿倍野の大鳥神社より大鳥大神が分祀され現在に至ります。
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